令和元年、10月12日に関東を襲った台風19号。小河内アメダスの記録では1日に556mmもの雨が観測され、1976年の統計以来、1日の降水量としては過去最多となった。前日の11日と併せて600mm以上降り続き、奥多摩町内の至る所で土砂が流出。大規模な停電・断水、一部道路が崩落するなど、大きな被害が発生した。

日原街道の通行止めは続いているものの、外見上は日常を取り戻したように見える奥多摩。でも、こと農業に関しては深刻な状態が続いている。

出典:https://mainichi.jp/articles/20191109/k00/00m/040/156000c
毎日新聞2019年11月9日 17時34分(最終更新 11月9日 17時34分)

中でも大きな打撃をうけたのが奥多摩町の特産、わさびだ。記事の通りだが、災害発生から2週間後の11月1日時点で、奥多摩町のわさび田は判明分だけで29カ所が流失、被害総額は約1億7600万円に達している。生産された”わさび”そのものの被害を含めると、被害額はもっと大きな数字になるだろう。

奥多摩の特産 “わさび”

わさびがこれだけの被害を受けたのは、奥多摩での生産方法も関係している。わさびの生産方法は主に2種類、畑で育てる陸わさびと、沢で作る水わさびがある。奥多摩ではそのほとんどが水わさびで、それらは山あいの沢を使って育てられる。ところが他地域と比べても急傾斜地が多い奥多摩では、今回の台風で降った雨水が沢に集中、多くのわさび田が流されてしまった。

山に入って水わざびを作る作業は極めて重労働だし、大きなリスクを負っている。そこまでして水わさびを作るのはなぜなのか。なぜ陸わさびではダメなのか。陸わさびと水わさびはそもそも品種も食する部位も違うので単純な比較はできないが、奥多摩に陸わさびを栽培する場所を確保することは難しいだろう。

土地の90%以上が森林に覆われた奥多摩町。いわゆる中山間地域と呼ばれるこの場所は、まとまった用地を確保することが困難な地域だ。わさび以外を含めた域内の総農家数59戸に対し、そのほとんどが自給目的の農家であり、専業・兼業農家はわずか3戸。情報は古いが、町内の農業生産額の6割をわさび栽培が占めている(※)と言われている。
(※参照:東京都奥多摩町におけるワサビ栽培 西村祐士  http://www.ppmusee.org/_src/261/10_90bc91ba1.pdf)

奥多摩の特産品ともいえるわさびだが、その歴史は古く、200年以上前には既に生産が始まっていたようだ。

武蔵名勝図会には、奥多摩の地名”梅沢”の名産として”山葵”が載っている。旧字で読めないのだが、わかるところだけ書き出してみよう。

「山葵 土地の名産なり多く作って江戸神田へ出す村内澗水(谷の水)の流多くまたは柿平川といふ谷川もあれは清水の流常に絶へず片下りにて土気少しもなきやうに小砂利の間へ挟み◯て上の方より清水を不断に流し又多からず少なからぬやうに漑(そそが)ぬれば谷根し其◯は少なく其の味◯辛し當村(当村?)山葵を作り出して價(価?)百金余に至れる由是より西に至れる村々にて作れり土地は殊に多し

古文は苦手なので超意訳。

「わさび 土地の特産品で、江戸神田で売っていた。山々の流水もあるし柿平川もあったから清流はとめどなく流ていた。砂利に挟み、清流をちょうどよい具合にそそぐ環境が作られているので、なんとかかんとか、辛くなる。当村(梅沢)からわさびを持っていけば、結構なお金になった。当村から西側の村々(氷川や小河内)で作ることができ、そちらの栽培用地はかなり広い」

名勝図会に取り上げられるくらいだ、昔からわさび栽培が盛んであり、ある程度の知名度があったと考えられる。現存しているわさび田も、当時から連綿と続くものが数多く残っているのだろう。

次ページには氷川村(今の奥多摩駅周辺)の図会が記載されいる。基本的に奥多摩は山深く、平地が少ないことがこの図からも見てとれる。

奥多摩わさびの現状を知りたい

さて、はっきりした一次情報ではないが、江戸神田へ運んでいたというくだりから、奥多摩のわさびは徳川幕府への献上品として用いられていたらしい、という話の論拠はつかめた。生産量も日本有数だったと言われており、こちらも【東京都奥多摩町におけるワサビ栽培】の記載に、”全国でも3番目の生産量を誇る一大産地”とある。この”3番目”が町村単位なのか都道府県単位なのかは不明だが。

では、奥多摩のわさび田がおかれている現状はどうか。

わさび農家が高齢化し耕作放棄地化している箇所も多い、という話はよく聞くが、実態は知らない。わさび田農家の方々によるSNSや自身のブログでの発信は少なく、奥多摩町外にその情報が拡散されることは少ない。わさび田の現状を知ろうと思ったら、こちらから情報を取りに行く必要があるのだ。町民同士の会話のなかで「わさび田がかなりやられちゃったからね」というフレーズは高頻度で聞くが、いったいどれくらい「やられている」のか。

今回の台風で相当な被害を受けたことは毎日新聞の配信通りだが、奥多摩の農作物被害について報じている記事は12月5日現在、他社を含めこの1記事のみ。全国的にみればニュースバリューは小さく、また、情報ソースにあたろうにもコストがかかるため、最新情報を報道関係に期待するのは難しいだろう。

わさび田のことを少しずつ発信していく

実際に山に入らないと現状がわからず、調べればコストがかかり、なかなか外に発信されないわさび田事情。地域おこし協力隊という立場上、発信自体を仕事にできるので積極的に関わっていきたい。

では、台風直撃以降、何回かわさび田を見学、また案内していただいたので、その様子を簡単にお伝えする。

2019/11/19(火) 伊豆わさび田見学

奥多摩のわさび田を見に行く前に、わさび処として有名な伊豆に行ってみよう、ということで、アポイントもとらずに見に行くことにした。

奥多摩からは大月まで行って、そこから中央高速、東富士五湖道路、新東名高速、伊豆縦貫自動車道を乗り継いで3時間前後。日帰りでいけちゃう距離である。

向かったのは”筏場(いかだば)のわさび田”と呼ばれる観光名所。静岡水わさびの伝統栽培は世界農業遺産にも選ばれている。

奥多摩のわさび栽培と異なり、静岡の水わさびは”畳石式”という方法で栽培されている。明治時代に入ってから行われるようになった”畳石式”は、下層から上層に向かって徐々に小きい石を敷いていき、表層は砂礫を敷く複層構造になっている。奥多摩の山間部で行われてる”地沢式”は、3~4%の傾斜があるわさび田に砂礫を敷く、古から伝わる栽培方法だ。地沢式のほうが水量の変化に強いが、畳石式のほうが安定生産に向いており、根茎も大きくなりやすいというメリットがある。

中伊豆はワサビ生産で昔から有名。

棚田状に形成されたわさび田の大きさは、東京ドーム3個分に相当。山あいに広がるその姿に圧巻される。

わさび田に等間隔に植えられた木々は、ハンノキ。夏の強い日差しからわさびを守るための落葉樹で、しかも根に根粒菌を持ち窒素肥料を生成してくれる。わさびの生育にとって好都合なのだ。

もとはかなりの水量がある河川だったことが伺える。棚田という性質上、奥多摩の山あいと同じく機械搬入はできず、全ての作業は手作業となる。

わさびの植え付けは塩化ビニールパイプを切断したものが用いられてるが、一部では石を用いている棚田も確認できた。塩ビには害虫の食害を防げるというメリットがあるが、流水に触れにくくなるため根茎の発色が悪くなると言われている。

わさび田に数名の農家さんがいらっしゃったので声をかけたら、高村さんという、わさび界で超有名な方だった。デイリーポータルZの記事「生ワサビを訪ねて」にも登場している。 その方が卸しているわさびを食べられるということで、高村さんの同級生が経営されているとんかつ屋さん、”留宝留ながた”さんに行った。

とんかつ屋だけど、わさびを食べたいのでそばをチョイス。高村さん作のわさび、ついています。

食したのだが、かなりツーンとくる。で、口の中にしっかり甘みが広がる。美味い。。。

この後わさび田に戻り、高村さんから<わさびには実生(みしょう)系と真妻(まずま)系があること>を伺った。わさび界隈では超絶基礎知識なのだが、何も知らない自分にいろいろ話をしてくれた。気安く声をかけてしまった我々に優しく接してくれた高村さんとご一家の方々には感謝しかない。

2019/11/22(金) デイビッドさんわさび田案内

毎日新聞の記事に、奥多摩のわさび農家デイビッドさんの発言が取り上げられていた。この度アポイントメントをとり、わさび田に同行させていただいた。

同町でワサビ栽培をするオーストラリア人、デイビッド・ヒュームさん(71)は「前例のない水量で、長年使われてきたワサビ田が壊れた場所もある」と話す。井草長雄さん(71)は「流されたり、水が来ず育たなかったりしたワサビが数千本出た」と言う。

ワサビ田は山中など遠隔地にあるものもある。アクセスする林道が土砂崩れで埋まったり、水でえぐれたりして車が通れないケースもあり、被害調査も容易ではない。保科さんは「復旧には数年単位でかかるのでは」と見る。ヒュームさんは「栽培農家の多くは前向きだ。必ず復旧したい」と決意を語った。

まずはわさび田ではなく、近くの農園にあるビニールハウスへ。わさびの苗を植えるのではなく、種をまき、芽から育てているのだそう。写真の状態で種まきから3週間程度。数カ月間はビニールハウスで栽培、ある程度大きくなったらわさび田に植えかえる。

ということでいざわさび田へ。途中で見た光景、新聞の記事でも使われていた、あの場所だ。

滝のようになっているが、台風直撃の前までは普通のわさび田だったのだ。

車を降りて歩いて移動、ところどころで土砂崩れが散見された。「わさび田として機能するまで長い時間が必要だ、3年くらいはかかるかもしれない」とデイビッドさん。

今回は流されてしまったわさび田修復のお手伝いをする。

一面にわさびが生えていたが、ほとんどが流されてしまいこのような状態に。土砂流出したため、このままでは新規にわさびを植えることができない。山あいから土砂を集めて袋詰、それをわさび田に持っていって撒く作業を繰り返し行った。

雨が本降りになってきたので作業を中断、するとディビッドさん。わさび用の農具を車から取り出した。さきほどのわさび田へ。

さっきの道具を使い寝茎のうわったわさびを掘り起こす。

このまとまった草と根が、ひとつの”わさび”。ひとつといっても、根っこでつながっている葉っぱの集合体だ。このうち葉っぱが元気でこぶりなものを、次に植える苗として取り分けていく。ビニールハウス内で育てている苗は育成に時間がかかるが、こうして取り分けた苗はすぐに植えることができる。

手伝ってくれたお礼に、ということで、苗を取り分けた後に残った根っこ、わさびをいただいた。品種は、伊豆でも生産していた、あの真妻(まずま)だ。

デイビッドさんの活動については、今後も取材を重ねていきたいと思っている。

2019/11/27(水) 氷川小学校わさび田修復手伝い

奥多摩町の氷川小学校の生徒が携わっているわさび田の修復作業に同行した。氷川小学校の生徒さんの体験学習として使っていたわさび田も、今回の台風で被害を受けた。おくたま海沢ふれあい農園 クラインガルテン&体験農園の代表、掘さんが指導・教育担当だ。

今回はボランティアで集まった方々も参加。埼玉県からかけつけてきてくれた方も。

ここが氷川小学校の生徒さんが管理しているわさび田。

水が適度に流れ落ち、素敵な風景なのだが、わさびの生え方はまばらだ。

生徒さんが到着したところで、今日の作業説明が始まった。主にわさび田に溜まったごみの清掃、流れた土砂の整備、そして植え替えがメインの作業。

水量が強くなると土がえぐれてしまうことが端的にわかる場所が、段と段の境目、落水する箇所だ。

まずはゴミ拾いから。流れ着いた木枝や生えてきた雑草を取り除いていく。地味に腰が痛くなる作業だ。

掃除が終わったら、今度は土砂を整形していく。土に高低を作り、水の流れる場所を作ってあげれば、ある程度の水量変化があってもわさびが流れにくくなる。

そしてだいたいこういう作業は女の子のほうが手際がよかったりする。頑張れ男子陣!

綺麗にするとこんな感じに。

こんどは土が表出したところに、わさびの苗を植えていく。今回は修復作業なので植えたのはわずか。生徒さんの修復作業で、わさびの生育環境はかなり改善されたはずだ。

作業終了後、みんなで休憩タイム。うなざわ農園さんが用意してくれた、蒸した里芋とお茶をみんなでいただく。

里芋は農園さん自家製の”ねぎ味噌”をつけて食べるのがおすすめ。とても美味しい。

堀さんの話を聞きながら、今日の作業を振り返った。生徒さんにとっても、ボランティアスタッフにとっても貴重な経験になったはず。(むろん自分にとっても)

わさび田は山奥にあるので、行き帰りはこのような場所を横切る必要がある。奥多摩で続いている”地沢式”生産の厳しさが垣間見える瞬間だ。

それにしても奥多摩の子どもたちは、擦れていないというか、みんな個を表に出しているように感じた。同じ都内の子どもたちが決して経験することがないであろう体験をたくさん重ねることができる環境にいるのも、なにか影響しているのかもしれない。

これからもわさび田の取材を進めます

伊豆と奥多摩と、たった3回のわさび田見学、そこには自分の知らない世界が広がっていた。

世間に需要があるかどうか分からないが、わさび生産について特段興味がない人にも伝わることばで書かれたものが、世の中にあってもいいのかなって思う。興味の湧いた人が知ることができるように。なにかのきっかけとなれば。

今後も地域おこし協力隊の立場を利用して、”奥多摩”のわさびを中心に、取材を進めていく。

おすすめの記事