奥多摩町・小河内地区を中心に、住んだり働いたりしている素敵な方々を紹介するコーナーです。今回は、奥多摩の観光用公衆トイレを綺麗にするクリーンキーパーで、オピトのメンバー(リーダー)でもある大井朋幸(おおいともゆき)さんを取材しました。

 

「奥多摩駅まで、都心から約2時間ですよね。駅のトイレって、奥多摩に来た人が最初に使う施設なんです」

 

 

土日、駅前の広場に設置されている観光用公衆トイレは、電車の到着と共に行列をなす程の混み具合となる。降車したお客さんがバスの乗換や登山の前に立ち寄って、支度を整える。

「トイレって、レジャーを楽しんでもらう出発点なんです。奥多摩という町が観光客に対してウェルカムなのか、ここで判断されてしまいます」

 

 

約20軒ある奥多摩の公衆トイレ。6人のクリーンキーパーが日替わりで清掃を行い、常に清潔な状態が維持されている。この日、大井さん(写真左)とパートナーを組んでいたのは、奥平志延さん(写真右)だ。

1日で清掃・チェックできるトイレは12〜13軒。すべてのトイレを回ることは出来ないが、利用者の多いトイレは重点的に清掃が入る。取材した当日は、奥多摩駅前トイレから清掃がスタートした。

 

 

清掃用具は、家庭の掃除で使われているものが大半だ。

「よく駅やサービスエリアのトイレで見かける専用のポリッシャー、あれは使わないんですよ。モップもデッキブラシも使いません。すべて手作業です」

―手作業?

「人の手でやるからここまで綺麗にできるんです。ほら、タイルの溝、汚れてるじゃないですか。これ、ポリッシャーでこすってるだけじゃ綺麗にならないんです。目視で一本一本確認して、やってますから」

話しながらブロワーを取り出し、天井に吹きかける。

「ホコリが溜まってるので、まずは上から清掃します。そこ、ツバメが巣を作ってるので注意してくださいね」

 

 

てっきり床の清掃から始まると思っていたら、まさかの天井から。確かに、奥多摩のトイレに蜘蛛の巣が張っているのを見たことがない。ツバメが食べているからではなく、ブロワーで吹き飛ばしているからなのだ。

念入りにホコリや小虫を落とした後、洗面台、床、便器の清掃が始まった。

「床の清掃で一番大事なのは、傷がつかないように、洗う前に砂をしっかり流してあげることです」

 

 

登山やキャンプなど、アウトドアを楽しむ人が多い奥多摩では、公衆トイレは土砂で汚れがちになる。

汚れを取り除いたら、市販のメラミンスポンジを使い、文字通り、タイル一枚、溝一本を丁寧に磨いていく。見ているだけでも気の遠くなる作業だ。

「トイレのなかで、絶対掃除しない場所があるんですよ」

そう言って、トイレ奥にある掃除用具入れの床を見せてくれた。タイルが黒ずんだままになっている。

 

 

「ここが僕らのラボです」

 

「トイレのタイルって、作られた時期や施工会社によって全部違うんですよ。タイルの性質によって何の薬剤が効くか、どう磨けばいいかが異なります。だから自分達で試しているんです。より良い方法を思いついたら、ここを使って試す。だから洗わないんです」

用具入れの扉をさかいに、タイルの色がまるで違う。

そこまでやるのか、という驚きの気持ちが先行して声が出ない。

 

「僕らがこの仕事を始めた頃、床一面、この色でした。アンモニア臭で目が痛くなるくらい汚れていてね」

大井さんがクリーンキーパーの仕事を始めたのは2年前。奥多摩総合開発(株)に転職、配属された仕事がトイレの清掃だったという。

 

 

「もともとは調理の仕事をしていました。イタリアン、フレンチ、ドイツ料理。前職は、入浴施設で飲食や接客がメインでしたね。スーツを着て働いていたのに、配属されたのがトイレ清掃。はじめは正直、無理だなと思いました」

―トイレ清掃の仕事だとは思わずに転職されたんですか

「町の防災無線でクリーンセンターの仕事を募集しているのをたまたま聞いて。はじめはゴミ収集の仕事をやるものだと思っていました」

「会社がトイレ清掃の仕事を新規に受注したので、そこで働くことになったんです。入浴施設での仕事経験から、掃除と薬剤の知識はありましたからね。入社したばかりの人間にいきなり新設部門を任せるなんて。この会社、人を見る目があるなと(笑)」

 

 

「嫌だったですよ、仕事。潔癖症だったので粉塵マスクにゴーグルの格好でやってましたよ」

「しかも娘が泣いちゃって。父親がトイレ清掃員ですよ。まわりの子も悪気なく言うじゃないですか。『お父さんトイレ清掃員なの?』って。娘にとって、自分が恥ずかしい存在みたいになっちゃって」

大井さんは、その時に誓ったそうだ。

「めちゃくちゃカッコいいトイレ清掃員になってやる、って。汚い、臭い、怖い、ダサい、地味、おじさん、やりたくない…、そういったイメージをすべて覆す。そう決めたんです」

トイレ掃除を、カッコよくて、誰もが憧れるような仕事に変えていく。

 

 

「まずは見た目を変えようって」

クリーンキーパーのメンバーは全員、異なる色のストライプシャツを制服として着用。見た目に鮮やかという理由もあるが、各自の責任のもとに仕事をすすめる環境を作りたい、という理由もそこにはある。

「自分のためにやっている、というか、プライドというか。なんかね、仕事って家族のためとか、お金のためとか言う人もいるけど、それだとここまでやれないと思う。自分のプライド、自分が納得するところまでやらないと」

―仕事は自分のため、という意識はいつ頃から持っていましたか

「18で働き始めてからずーっともう。自分が納得できない仕事だったら、家族だって納得しないと思うんですよね。評価って後からついてくるじゃないですか」

「俺達は損して徳を取るんだよな。喜ばれるのが嬉しいんだよなお客にな。『いつもきれいなトイレで』って言われてな」(奥平さん)

 

 

取材の最中に、千葉から来たという年配の観光客に出会った。

クリーンキーパーに取材中であることを告げると、トイレのある場所が観光ルートを決める上で重要なのだと教えてくれた。団体で動くので、出発駅、行きの道中、昼食、帰りの道中、到着駅、すべてにトイレがあることを、ルート策定の必須条件にしている、とのことだった。

「奥多摩のトイレは綺麗だと思います」

綺麗なトイレが当たり前にあること。そのことが、奥多摩の観光を下支えしている。

 

 

クリーンキーパーの仕事はトイレの清掃にとどまらない。トイレ外壁の洗浄、周辺に生えている下草の処理まで行っている。

「トイレだけやっている訳ではないから、仕事に飽きないんだと思います。町内各所を回るので、ゴミが落ちてたらもちろん拾いますし、観光客にも町民にも必ず挨拶します。命を捨てようとしている人を助けたこともありますね」

仕事として与えられた任務を遂行するだけではなく、誰かがそれをやっておくと、世の中のためになりそうなことをプラスする。素敵な働き方だと思った。

「普段から地元の人が使う道ではなく、お客様が使う道を通るようにしていて。車や人の混雑具合を見ています。イベント情報や天気予報と重ね合わせて、明日はキャンプ場が混むなとか、予測できますよね」

「もし翌日混みそうなら、その日に清掃予定がなくても行って、床の土汚れを綺麗にしておく。それだけでもお客様に与える印象は全然変わりますから」

 

 

取材中、観光客の忘れ物をチェックするため、その日の清掃ルートには入っていないトイレに立ち寄った。

「これはひどい。何もせずには帰れないな」

山間地域にあるトイレはどんなに清掃しても湿気が高いため、素材によってはあっという間に結露し、床が水浸しになってしまう。清掃の予定は無かったが、掃除機を取り出し、溜まった水を吸い取り始めた。

たまたま忘れ物のチェックで立ち寄ったとは言え、予定にないトイレまで掃除していたら、仕事に際限がなくなってしまうのではないか。

 

「たったひとりでも、この後来るかもしれませんよね」

「今日来た人が、明日来るとは限らないんです。観光地ですから。次来るのは数年後かもしれない」

 

 

「掃除をしたところですぐに濡れてしまうでしょう。でも、今来た人はこのきれいな状態、見られるじゃないですか。その時間を使って駅前のトイレとか、別の場所を綺麗にしたほうがいいのかもしれないけど」

 

「なんでしょう、なんなんですかね」

 

泥と結露で汚れていた床は、あっという間に清潔さを取り戻していた。

 

 

町外からの来訪者の中にも、彼らの存在を知っている人がいる。

<奥多摩の公衆トイレはいつ行ってもキレイだから。専門の人達がちゃんと清掃して、臭いなんて一切しないからね>

町内の喫茶店でコーヒーを飲んでいた時に聞こえた、観光客同士のことば。もしかしたら、大井さん達がその「たったひとり」に向けて掃除したトイレを、使った人だったのかもしれない。

 

 

「最近は、子どもたちにも声をかけてもらえるようになりましたね」

 

実は、クリーンキーパーには【OPT】という非公式のテーマソングがある。オーピーティーではなく、オピト、と読む。

奥多摩を盛り上げるまちおこし団体、OBC(Ogouchi BanBan Company)のパフォーマー、かん先生と大井さんが知り合ったことがきっかけとなり、テーマソングが作られた。

奥多摩、ぴかぴか、トイレ。略してオピト。曲名は【OPT】だが、この曲を踊るメンバーのことを、カタカナで【オピト】、または漢字で【奥人】と呼称する。

 

「シンボルマークは、小河内のお休み処、茶屋 榊(さかき)さんが考案してくれたんです」

奥多摩の子どもたちには、【クリーンキーパー】を知らなくても【オピト】は知っている、という子が多くいる。キャッチーなネーミング、シンボルマーク、そしてテーマソングに合わせたダンス。オピトは、子どもにとって親しみやすい存在なのだ。

2018年、2019年と続けて、年に一度の祭典「まちおこしモンスターフェス」に出演。2回目の出演となる今年は、クリーンキーパーのメンバー全員で踊った。

 

 

「俺だけ参加したって意味ないんですよ。メンバー全員揃ってのオピトなんで」

クリーンキーパーのメンバー全員が、【オピト】として【OPT】を踊る。

目立つストライプシャツを着て、タイルの1枚1枚に拘りを持ち、奥多摩に来る「たったひとり」の観光客のために掃除をする。日本一、アバンギャルドでかっこいい清掃員が、子供たちと一緒に全力で踊っていた。

 

 

「トイレ清掃員は目立ったほうがいいんですよ。明るくて、可愛くて、POPなイメージで」

「今の仕事、めちゃくちゃ楽しいですよ。やりがいがあるし。ほんとうに最高の仲間で。こうやって僕らのことを応援してくれる人たちがいて」

 

 

取材を終えた後、評論家の内田樹氏がブログで書いていた、ある文言を思い出した。

“ブリリアントな成功を収めた組織というのは、例外なく「『好きにやっていいよ』と言われたので、つい寝食を忘れて働いてしまった人たち」のもたらした利益が、「手を抜いた」人たちのもたらした損失を超えた組織である。”

 

大井さんたちのことだ、と思った。自分のために仕事をしていたら、トイレはピカピカになり、観光客からも町民からも愛される存在になっていた。

そして、娘からも。

 

 

「今の目標ですか。おおげさかもしれないけど、公衆トイレを『深呼吸したい』と思える空間にすることですね。奥多摩に着いて、美しい山々を見ながらおいしい空気を吸うみたいに」

笑いながら「無理かもしれないけどね」と付け足した大井さんの眼差しは、本気だ。

 

インタビュイー:大井 朋幸さん
取材協力:奥平 志延さん・かん先生(島崎 勘さん)
インタビュアー:谷木 諒

取材日時:2019/07/22

※追記※

今回、取材に応じていただいた大井さんは、OBCのかん先生からご紹介いただきました。ご協力いただいた皆様に、この場を借りて改めてお礼申し上げます。

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